2015年10月10日土曜日

夢を見る


三連休の方も多いでしょうか
昨夜から 色々と認めた文章を元に お送りしまーす。

キッカケは母の「ギバちゃん」熱より。
写真は この春に撮影したものです。

★,。・::・°☆。・:*:・°★,。・:*:・°☆。・:*:・°

その朝


目の前に寝転がる姿は
もう あなたでは ないのだと知った

シャッターを切らずには いられぬ程
美しい朝陽が 窓の外を染める

何があっても 昇るのだ

今は 気持ちと同化できないけれど
きっと 大丈夫だろう

沈む時も 昇る光も 繰り返す人生も
有意義なものと 詩って生くから

★,。・::・°☆。・:*:・°★,。・:*:・°☆。・:*:・°

柳葉 敏郎 様
YOUGO OFFICE スタッフの皆様


はじめまして。 藤鈴呼と申します。
母の代わりに 週に一度
J-FORCEのホームページを 拝見しております。

母は パソコン操作が 上手く出来る状態ではありません。
そのため、私が 母の代わりに 札幌からアクセスして 

毎週 更新される PHOTO情報を印刷し
定期的に 母に郵送しております。

母は 岩手県 滝沢市 在住です。

柳葉敏郎さんの住んでいらっしゃるのは 秋田県とのことで
少しばかり 親近感を 抱いております。

以前から母は 柳葉敏郎さんの ファンでした。
私も折に触れて、インターネットで 
ホームページの内容を検索して
母に 伝えておりました。

この度、初めて母が 「ギバちゃんの部屋」のある
「ユメリア」へ行くことになりまして
メールいたしました。

ここ数年、安らぐ暇のなかった母が 
ようやく楽しめるようです。

柳葉 敏郎さんが お元気で活躍されて、
スタッフの皆様が いらっしゃってのことと
本当に感謝しております。

少し、家族のことを認めます。

今年3月12日、父が脳出血で倒れ、
4月後半に、旅立ちました。享年69でした。

私達 姉妹は 他県におりまして、
今 母は 一人暮らしをしております。

母は 相次いで 実母、弟、夫と
三人の家族と お別れをしました。

今年のお盆は 母にとって 
一番辛い法要となりました。

実父の十三回忌、実母と弟の三回忌、
そして夫の新盆でありました。

父は少し前から 
肺気腫の治療をしておりました。

倒れた日は 
酸素ボンベをつける相談をするべく
病院に出掛けるために 
雪掻きをしていたところでした。

母と共に 自宅の雪かきをしている途中で倒れ
すぐ近くにいた母は 
その場で救急車を呼んだようです。

普段から 万が一に備えての用意が 得意な母は
その日も 電話を 
玄関先の自転車かごに 入れておいたので
直ぐに 連絡が 出来たようです。

前日の 3月11日は 東日本大震災の日、
今年もそんな時期がやって来たなあ と 
思う矢先の出来事でした。

脳梗塞であれば、手術次第で
回復へと向かう場合も あるようですが

父の場合、脳出血の中でも 
一番 場所としては思わしくない
橋出血でした。

この部分は 人間の生命維持を 司るそうで
リハビリ後、最高に良くなっても 
車椅子が限界だろう、というのが
医師の 見立てでした。

私は 転勤族の妻です。
当時は 新潟県 糸魚川市 在住でした。
北陸新幹線が開業するとのことで
大分から 夫の両親を招いての、旅行中でした。

白川郷に 一泊している時に 
母からの連絡が ありました。

旅行の予定は伝えて在りましたし、
緊急以外で着信がある筈がない、

そう思った瞬間に 
メモ用紙とペンを用意していました。

病状を聞き、翌日には夫達と分かれ、
故郷の岩手に戻りました。

丁度、春に 夫の札幌転勤が決まっており、
私自身は 仕事を辞めておりましたので 
直ぐ動くことが 可能でした。

母は 白内障手術をする予定が ありました。
父が倒れなければ、手術には 
父が付き添う予定でした。

倒れた父は 滑舌も ままならない中で 
看護師さんに 伝えたそうです。

「俺が入院している内に 手術してしまえ」 と。

看護師さんは
家族である私でさえ 聞き取れぬ単語を 
一つ一つ 汲みとって 教えて下さいました。

実際に 口にしたのは 

「俺はここにいる」、「母の名」、「病院名」、
「目」、「手術」、

これらの単語だったようで

看護師さんからの電話で

「こんな単語を仰ってますが、
何のことか分かりますか?」

というものでした。

この後、再度の脳出血をし、
記憶障害も 酷くなって行くのですが

きちんと物事を判断できた 
最後の会話だったかも しれません。

間接的では ありましたけれど・・・。

私も、新潟から札幌へ引越後、急遽予定を組み
母の手術に付き添いました。

病院行脚することになるなんて、
と思いながら走る 故郷の路は
それは 切ないものでした。

母の手術は 両眼でしたので、
二週間ほど 入院期間が ありました。
父は リハビリ病院へ 転院しておりました。

盛岡中心部にある 母の病院から
温泉街である御所湖(ごしょこ)にある 
父の病院まで 
毎日 通いました。

皮肉にも、倒れる直前、両親が
「夫婦で 一泊でもしようか」と
温泉宿泊を 予定していた 場所です。

「今度こそ、ゆっくりと過ごそう」、と 
温泉を 計画していたようでした。

私達姉妹は、本当に 父に可愛がってもらいました。
離れて生活する私達の名前を 一日に一回は呼び

「二人はどうしているかな」と 
母に尋ねるのが 日課だった、

そう聞いたのは 
父が亡くなった後の ことでした。

私の前では 無理難題を言うことはない 父でしたが
母が見舞いに行くと 思い通りにならないこともあり

「ごねる」「叫ぶ」「怒る」「暴れる」
そんなことも多かったように 思います。

脳出血の症状としては、
怒りやすくなる、という一面も あるようですが
父は 元々 短気でしたので・・・。

言いたいことも 上手く伝えられず、
焦点も 定まらぬ眼では

ひらがなの一覧表を 指差してもらうことも出来ず
意思疎通が 中々 図れぬままでした。

左半身は麻痺、記憶障害、嚥下障害もありましたが
必死で 伝えようとしているようでした。

私達も、何とか相槌を打とうと 
話し掛けるのですが

「俺が伝えたいのは そんなことじゃない!」
と言うように
不機嫌になってしまうのでした。

そんな姿ばかりを 眺めていた母は
言いました。

「私が お見舞いに行くと 
お父さんを 怒らせて 興奮させてしまうから
あなたが 行ってあげて」 と。

母が 白内障の手術を終え、退院した時も
「お父さんに 会いに行こうか?」
と 聞きましたが

「もう少し 落ち着いてからにする」と。

その頃には 
現在の母の写真を見せても 首を捻ってしまったり

私達が 新潟から北海道に 引越する話も
理解できないように なっていました。

それどころか、顔や存在すら 分からない日も
増えていました。

もの凄く 調子の良い日には 
車椅子に乗せてもらい 

ボール投げのリハビリが 出来る時も ありましたが、
そのリハビリにも 期限がありました。

母は バネ指、指の血流不足、骨粗しょう症もあり、
暴れる父の世話は 無理だろう、とのことで

今後の施設を探し、話を伺おうと予約した日の朝、
父は旅立ちました。

真夜中に 心筋梗塞を 起こしたようです。

駆け付けると、
若い看護師さんが 泣きながら
心臓マッサージを してくれていました。

もう 殆ど冷たくなった父の 額部分にだけ
うっすらと 温もりが 残っていました。

母が退院して 直ぐのことでした。
本当に、タイミングを 見計らったかのようでした。

まさか そんなことになるとは 
誰も 思いませんでした。

前日には、痰が絡まるので 
特殊な歯ブラシを インターネットで取り寄せて
持って行こうとしていました。

病院の常備品にない とのことで 
取り寄せたのですが

後日、他の患者さんへお使い下さい、と 
病院にお渡ししました。

季節は ゴールデンウィーク手前、
連休には 札幌から 私の夫も駆け付ける予定でした。

出発直前の事でしたので 私の喪服一式を
一緒に持って来てもらうことが できました。

このタイミングも 驚きました。
少し日がずれていたら、
喪服は持って来られなかったでしょう。

そして、父のライフワークであった 少林寺拳法の
大事な大会の 直後でもありました。
父の手書き予定表は そこで終わっておりました。

1000ページ手前で 中途半端になってしまった自分史
これを作る為に パソコンを使用していましたが
いつも 簡単にフタのみ閉じて 出掛けることも多いのに

雪掻きの前に 全てシャットダウンして
綺麗にしてありました。

自宅の庭も そうです。
雑草を 全て刈り取り、除草剤を巻き
桜も 短く剪定しておりました。

本当に、ただの偶然なのかも しれませんが
一つ一つに気付いた瞬間、身震いがしました。

今年の 3月11日、12日は 
岩手県でも 大雪だったそうです。

この大雪がなければ、
通院日が 別の日だったら、

そんな 「たられば」に 意味がないことは 
解っています。

私自身は 能天気 & 楽天家ですし、
母も私も くよくよする性ではありませんが

父が倒れてから 亡くなるまでの間に 
何度か 母が ぽつり、呟いた台詞が 
忘れられません。

「お父さんを、助けて 良かったのかな・・・」

自分が 直ぐに連絡できるように 
電話を側に 置いていたから

中途半端に 助けてしまったから
今も こうして 苦しんでいる

先の見える 状態ならば 
助けて良かった、と 言えるけれど----

そんな気持ちが あったようでした。
それでも 心を 入れ替えて

「次は 施設を探して、
お父さんの前で 写真 見せたりして~」

と 連想していました。

その 施設説明の 当日に 
旅立ったものですから

母は 気持ちの入れ替え、が 
何度も 必要になってしまったようでした。

白内障の 手術後でしたので、
葬儀での 喪主挨拶でも 

黒い サングラス姿のままで
スッピンで 挨拶をしていました。

痛々しい程でした。

忌明け挨拶も 全て手書きで仕上げる、
とのことで

見えない目を 必死に酷使して 
いつもよりも 大きな字で 書いていました。

何度か 目の出血もありまして、
夜中に医大救急センターに 駆け込むことも ありました。

更に 母の心労を 増長させるような出来事も
幾つか ありました。

たまたま 担当者に恵まれなかった 事柄です。

父が倒れた当初 入院していた病院で、
嚥下障害があったため

チューブで栄養を入れる必要があり 
胃瘻手術を受けることに なったのですが

そのやり取りと 並行して 
車の手続きも あったのです。

父の状態が 日常生活を送れる程には戻らない
との見立てでしたので

車を 手放そうとしたのですが
担当者に恵まれず、少し トラブルになりました。

「この車は古すぎて売れない、廃車にするべき」
と嘘を吐かれ、

「返却して下さい」とお願いしていた 
車に置いたままの 自賠責保険の証書は
原本ごと持っていかれ 

保険解約金を
個人口座に 入金手配されました。

ディーラーである担当者が 
自分の個人的な知人業者を巻き込んで 
こちらに無断で 解約したようでした。

当初、「三月中ならば 車税を支払わずに済む」、
とのことで 
手続きをお願いしたのですが

全ての手続きが 終了したのは 
夏になってからでした。

結局 改めて会社を通し 再度 見積もり
父の車は 10万円で 引き取っていただきました。

生命保険の手続きでも
一悶着ありました。

入院給付手続が進まないまま 父が永眠し、
その連絡をした時

担当者に言われた台詞は こうでした。

「どうせ」死んでしまったと言っては 失礼ですけど~ぉ
手続きは 最初から 全部やり直しになります~う

脳出血の為、物事が認識できず、サインも出来ない、
そう伝え、担当者に言われる通り、母が代筆した 入院請求書の

「書き方が悪い」とのことで 
保険金が 下りないままだったのです。

担当者に言われる通りに 
記述したのですが・・・。

また、父の亡くなった後、銀行では、
「奥さん、お父さんからのお金が入るねえ」と
ニヤニヤしながら 定期や投資話を進められました。

相続手続きで行っている遺族の気持ちに
寄り添えないのかな、と 感じました。

世も末だと感じる 出来事たちでした。

色々なことがありましたが そんな中でも 
助けてくださる方も 沢山いらっしゃいました。

セレモニーホール担当の方とは 
この二年で 葬儀が三回目ということもあり
すっかり顔なじみになってしまいました。

通常は出さない という仏花を
個人名でいただいたりもしました。

春の雪解け、夏の暑さとともに 
少しずつ 母の気持ちも落ち着いて来たようで

「ギバちゃん」の台詞も
多く聞かれるように なってきました。

J-FORCE の存在も知り、会員に加えていただいたようで
それ以来 私も ホームページを拝見するようになりました。

元々アナログな母のこと、昔のVHSが欲しい、とのことで
YOUGO OFFICEのスタッフ様へ 問合をしたようでした。

その時のことを 嬉しそうに話しておりました。
「とても親切に 対応していただいた。」と。

ツライことも 多かった中で、
大好きな「ギバちゃん」に 繋がることで

親切にしていただいたのが
何よりも 嬉しかったようでした。

お蔭様で、在庫のある商品を
「大人買い」することも 出来たようです。

私からも 御礼を申し上げます。
本当に、ありがとうございました。

また、今までの出演作品の一覧も頂戴した
とのことで

過去のドラマや出演情報を
インターネットで検索して「全て」印刷して送って欲しい
とも言われ、

現在 泣きながら(?)検索をし「ようかなあ」
というところです。

(ギバちゃんの軌跡一覧を眺めながら。。。
活躍しすぎです! 涙)

そして、秋田市に住む 母の知人が 
母を気遣ってくださいまして

「ユメリア」に宿泊することになりました!
女性 三人旅のようです。

母より若く、フットワークの軽い知人女性さんが
「ギバちゃんの部屋」があるそうだ、と調べて
母を喜ばせようと、誘ってくださったようです。

秋田県大仙市刈和野、という場所に
あるようですね。

母は盛岡から大曲まで「こまち」で行き、
大曲から刈和野まで電車移動し、
「ユメリア」までの送迎バスに乗るそうです。

一人旅が初めての母、
無事に電車とバスを乗り継げるものか
少し心配をしております。

家族の世話ばかりで ゆっくり温泉につかることも 
中々できなかった母が

心身ともに癒されてくれれば良いなあと 
思っております。

母からは、嬉しそうな手紙とともに
「ユメリア」のパンフレットのコピーが
私の元にも送られてきました。

「ギバちゃんの部屋」紹介の上に 
こんな言葉を見つけました

「地元にいる時は ひょっこり顔を出してくれます。」

え゛ーーーっ! そうなんですかっっっ♪♪ 
と 期待をしております(笑)

余談ですが、私自身は 
「ギバちゃん情報」に疎い部分が多いのですが

お顔を拝見する度に、
実は、父の面影を 感じてしまいます。

以前から何となく。。。なのですが、
雰囲気・表情、ちょっとした角度で 

「若い頃の父に 良く似ているなあ・・・」と
感じておりました。

少し前に、母に そう伝えました

「気付かなかったけど、
確かに 似ている部分は あるのかな?」

なんて笑い合いました。

父も お酒が好きでした。

幼い頃は
「ウイスキーの器には熊が乗っている」
と信じていましたが

これは 母の両親が 以前 住んでいた
北海道の土産だったようです。

日本酒も随分と呑んでいましたが、
晩年は身体のことを少し慮ってか
焼酎ばかりでした。

禁煙は 最後まで 出来ないままでした。
咳き込みながらも 吸うんだものね・・・、と

母と何時も からかっていたのが
昨日のことのように 思い出されます。

これからも、母からの伝言で 
「ギバちゃん情報」を検索しながら

沢山の印刷物を
母に郵送することになるでしょう

その度に 楽しみながら拝見していきたいと
思っております。

母からの依頼で 
最近 2冊の本を取り寄せました。

「親愛なる者へ」「憎しみに微笑んで」の
ハードカバーです。

何ともドロドロした内容に 
爽やかな若かりし日の ギバちゃんの御姿との
ギャップにヤラレ
目を白黒させております。

長くなりました。
お読みいただき、ありがとうございました。

柳葉 敏郎さんにも 
どうぞよろしくお伝えください。

どうか、お元気で 
いつまでも大活躍されますように、と
願っております。

その分、母もパワーをもらえて
元気でいられるのではないかな、と
思いながら・・・。

母の実父83歳、実母93歳、弟63歳、
何とも不思議な繋がりで亡くなっておりますので

現在66歳の母には
絶対に 73歳で亡くなることがないように
元気でいてもらわなければ 困るのです♪

週に一度の ホームページ更新は
本当に大変なことだと思います。

お蔭様で 母も楽しみが増え、
私まで「ギバちゃん」の大ファン・・・

には
まだ なりきれていない気もしますが(笑) 

更新を楽しみにしております。

秋田の「かだろ」、に メッセージを載せていた頃から 
印刷しておりましたが

母は、「かだろ復活は しないのかしら・・・」と 
こちらも楽しみにしているようです。

退職した父が 
自分と同じ型のパソコン(Windows 7)を購入し

「俺がパソコンを教えてやる」と申しておりましたが
今では それも 叶いません

ですが、数年前 XPのパソコンで 
少しだけインターネット検索を してみたようですので

もう少し 落ち着いて 手の通院・手術も終えましたら
「ギバちゃん情報を検索してみたい」と 
夢を持っているようです。

母の手は 手術が必要な状態です。
近所の病院で
大病院への紹介状を書いてあげるよ、
と言われた矢先

院長先生が 急逝され、
治療が宙に浮いております。

本当に 柳葉敏郎さんの存在が 
母に力を下さっています。
ありがとうございます。

札幌では週明けにも雪予報(!)が出ているようで、
驚いております。

スタッフの皆様、季節の変わり目ですので 
くれぐれもご自愛くださいませ。

それでは 失礼いたします。

★,。・::・°☆。・:*:・°★,。・:*:・°☆。・:*:・°

母へのメールより


今日も一日おつかれさーん♪

郵便物、届きましたー
ユメリアは立派な施設だねぇ♪

ギバちゃんが地元にいる時には来てくれる時もある
って書いてあったけど 

なかなかないかねぇー♪
と 期待しながら行くのは自由だ(笑)

和室以外にも色々あるみたいだけど 
選んだのは和室なのねー♪ 日本人だねーっ♪

ベッドよりは 皆で布団並べて眠るのは
修学旅行みたいで楽しそうだねえ!

ギバちゃんの部屋も楽しみだね!!

私は 丁度 親愛なる者へ、憎しみに微笑んで、
の二作品の本を 読み終えたところだけれど、

若き日のギバちゃんの爽やかさ以上に 
その内容のドロドロさに、
強烈な印象を持ったところですよー★

知人女性さんへのお礼は
お土産を手持ちするのだろうけれども、

帰宅してから改めて御礼を送ったりするようであれば、
北海道のお菓子も見つくろうことできるので 
その時には声かけてねーっ!

列車の地図、秋田の位置を眺めて 
何か変だな?と思ったら、
地図全体が横になっていたのね!!!

道理で 秋田と大館の位置がおかしいなー と、
何で 男鹿半島が真上に!? と 思って 
下を見たら 盛岡。。。 

ああ、これ 横になっているのね、と 
ようやく 気付いたのでしたー。

年賀欠礼の葉書、四種類もみたよー。
細かく分かれているから
微妙な違いを感じながら 眺めましたよん。

背景も嫌味がないし、文章もスッキリしていて
分かり易いね。

あとは出すだけ! だねー 
無駄に遅いXPマシーンの懐柔
お疲れ様でしたー。

参考文もコピーしてくれてありがとうー。 
こちらも そろそろ作成に入らないとかなー。

少林寺パンフレットは 沢山の言葉があって 
ありがたい一冊だね。記念になるね。

*

そう、追悼文を載せて下さったんですね
イラストも似ていて 吹いてしまいました
!_( ̄▽ ̄)ノ彡!

★,。・::・°☆。・:*:・°★,。・:*:・°☆。・:*:・°

~紙を彩る自由空間~

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